「宝塚グラフ」は宝塚歌劇団が発行する、スターのグラビアや公演の写真などが載っている月刊誌である。宝塚歌劇のファンならからなず手にする雑誌で現在でも続いている。その宝塚歌劇のホームグランドである宝塚大劇場と並んで「宝塚ファミリーランド」という関西人なら一度は訪れる大きな遊園地があった。ユニバーサルスタジオなどのテーマパークが主流になり、2003年に閉園。
この雑誌では園内に新しく作られた「遊覧ロープウエー」に音羽信子など4人のタカラジェンヌが試乗する様子が写真といっしょに紹介されている。雑誌の発行が昭和25年(1950年)7月なので、たぶん6月にオープンしたのではないかと察する。写真でみると2線交走式だったことがわかる。
本格的な旅客索道が日本各地で作られるようになるのが昭和30年代頃からなので、戦後新たに作られるロープウェイは遊園地の遊戯施設が先であった。「ロープウェイ」という乗物の概念がまだ定着していなかったせいか「空中電車」という名称も付けられている。詳しい資料がないので不明ですが、自分がもっている宝塚のプログラムにファミリーランドの園内紹介が載っており、それでみる限りでは昭和45年(1970年)3月頃には無くなっている。その数年前には園内奥まで続く循環式のゴンドラも登場しているので、園内の移動手段的でもなく、平坦な敷地内に無理やり作ったこの「遊覧ロープウエー」は撤去されたのであろう。
『宝塚にまた一つ名物が出来ました。それは何で御座居ませう。お猿の汽車でせうか。象でも着いたので御座居ませるか。いいえ、それはロオプウエイ ロオプウエイで御座居ます。その目出度い開通式の日、雪組の白雪姫たち四人が試乗をなさいました。乙羽信子さんに、東郷晴子さんに、藤代彩子さん、朝倉糸子さんの四人で御座居ます。』
『名物も結構だけれど ロオプがどうにもならなかつたかつて?何を仰有いますやら。皆様それは雪片のやうに軽やかなお方ばかりで御座居ますもの。ヒラリと身を翻して、軽やかに車中の人になられますと、やをら動きだした車は........。それは、もう、貴方、六月の青空にも飛びさらむはかり颯爽と滑走いたしましたので御座居ます。はい。』以上本文より。
『皆様にも宝塚にお越しの節は、是非とも一度御試乗の程、お待ち申して居ります。写真の一は四人の姫君達。無事空中旅行を終えて、颯爽と下り立たれましたる処。右から東郷晴子様、乙羽信子様、藤代彩子様、朝倉糸子様。写真二、三、四はかぐや姫お迎えの月宮殿の事もかくやどばかり、緑の風を切って滑走する車。窓から覗いて居られまするのは勿論、東郷、乙羽、藤代、朝倉の四嬢で御座居ます。はい。』以上本文より。
「宝塚グラフ」 昭和25年7月号(No.38) 当時定価65円 |
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