『岐阜県の金華山空中を走る日本で最新のこの「ロープウエイ」は75馬力電動機を使って、一度に20~30人位の人を乗せることが出来ます。正式の名称は「三線交走式旅客索道」といって現在は2輛走っていますが、これはそのうちの一輛「ながら号」です。天空高くはるか長良川や、原始林を眼下に眺める壮快さはまさに涼味満点です。(写真提供)川崎車輌製造株式会社』 目次にある「表紙の写真」の紹介文より。
これは昭和31年(1956年)8月1日発行の「模型とラジオ」誌で、特別製作記事としてロープウェイの模型の作り方が紹介されています。この表紙は岐阜県にある金華山ロープウェーで昭和30年(1955年)に開業。戦後に作られた本格的な索道としては初期の方で、この後レジャーブームと共に日本中にロープウェイが作られた時代が到来。この雑誌が発行された頃はまさに人々がロープウェイに注目していた時代なので、このような特集記事が組まれたのでしょう。
ここではプラスチックモデルのような既製品の製作ではなく、すべて自分で作るのが前提になっています。著者は松浦正彦氏で、屋根は木製の板を丸く削り出したり、懸垂器の部分などは0.5ミリの真ちゅう板を切り出して作るなど、かなり器用な人じゃないと作れないような気がします。動力のモーター部分や、駅舎の作り方まで4ページにわたり書かれています。一番最初のページの模型の写真は神田須田町にあった交通博物館のモノに間違いないと思います。下の写真はこの製作方法で作られた模型のように見受けられます。「空中ケーブルカー」「ロープウエイ」とまだ名称が定まっていないために両方書いてあるところにも、ロープウェイが普及する前の時代を感じさせます。
これは昭和31年(1956年)8月1日発行の「模型とラジオ」誌で、特別製作記事としてロープウェイの模型の作り方が紹介されています。この表紙は岐阜県にある金華山ロープウェーで昭和30年(1955年)に開業。戦後に作られた本格的な索道としては初期の方で、この後レジャーブームと共に日本中にロープウェイが作られた時代が到来。この雑誌が発行された頃はまさに人々がロープウェイに注目していた時代なので、このような特集記事が組まれたのでしょう。
ここではプラスチックモデルのような既製品の製作ではなく、すべて自分で作るのが前提になっています。著者は松浦正彦氏で、屋根は木製の板を丸く削り出したり、懸垂器の部分などは0.5ミリの真ちゅう板を切り出して作るなど、かなり器用な人じゃないと作れないような気がします。動力のモーター部分や、駅舎の作り方まで4ページにわたり書かれています。一番最初のページの模型の写真は神田須田町にあった交通博物館のモノに間違いないと思います。下の写真はこの製作方法で作られた模型のように見受けられます。「空中ケーブルカー」「ロープウエイ」とまだ名称が定まっていないために両方書いてあるところにも、ロープウェイが普及する前の時代を感じさせます。