週刊朝日、昭和31年8月12日号の「生活の歌」という連載記事のコーナーに摩耶ロープウェー(当時は奥摩耶ロープウェー)の女性車掌さんが取り上げられている。摩耶ロープウェーの開業が昭和30年7月。その頃発売になった「アサヒグラフ」に摩耶ロープウェーの記事が載っているが、こちらは開業から約1年後の記事になる。「アサヒグラフ」の表紙同様、こちらの中央の写真でも車掌さんがドアを開けてのり出している。いくら撮影の為とは言え、よくこんな危ないことが許されたと驚かずにはいられない。
『神戸市の東北、海抜七百メートルの摩耶山は、市内より七度は涼しい。ここの遊園地へロープ・ウェーがかかったのは一年前のことだが、夏は涼み客で一日の乗客が五ー六千人になるのは普通だという。この運賃が一人往復九十円だから、設備に神戸市交通局が九千万円を投じたといっても、そろそろ、モトはとりきったろうといううわさもある。左右のロープに一台ずつ、「すずかぜ」「そよかぜ」二台のカーが、閑散な時でも二十分おきに動いている。島岡栄子さん(20)は、ここにいる六人の女車掌さんの一人である。四年前にバスガールとして入ったが、勤務成績優秀なので、去年ここができると同時に転属になった。島岡さんは六人きょうだいの二女、お父さんは戦争中、大やけどしてからは会社をやめて、ぶらぶらしている。一人の姉は博多にいるので、三菱造船に勤めている弟の勝郎君(17)と二人で、四人の弟妹をかかえて、家を支えているわけである。「冬は暇で困るぐらいですが、これからは、食事をする間もないほどのきりきり舞いです。でも、こういうながめのいいところに勤めていると、ロマンチックな気分になります。スポーツは何もしません。喫茶店へ音楽をききにゆくのが楽しみです。」という。撮影・米沢博』『カーが動き出すときは、車掌は、かならず操作室の係員に指で人数を知らせる。』『四年間スガールをしていた習慣で、お客としてバスに乗っても、左右に注意する癖がでるという。』 上の本文より
『ロープ・ウエーの長さは826メートル、勾配は約18度、谷の深さ100メートル。晴れた日は神戸全市はもとより、大阪湾、和歌山方面を望むこともでき、百万ドルの夜景と自称している。25人定員だが、ロープの強さは50人の重さに堪え得る。』上の本文より
『「この子はほんまに親孝行で、なんにも欲しがりません。それだけに、こっちが気イつかいますけど......」とおかあさんはいう。』『勤務には昼出と夜出とがあり、昼は七時半から午後三時半まで、夜は午後一時半から十時まで、昼三人、夜三人のふりわりで出る。休暇は、交代で一週間に一日、お弁当は宿直室で食べたり、上の食堂で食べたり。涼しいから夏は嬉しい職場、下へおりると暑いのに驚くという。』 上の本文より
週刊朝日8月12日号 (第61巻第33号通巻第1921号) 昭和31年8月12日発行 当時 定価30円 |
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