これは「こども家の光」昭和33年7月号に掲載されたものです。一番最後の見開きページにカラーイラストで富士山にロープウェイ架設計画の事が載っていました。
『日本一の富士山に、ケーブル・カーを作ろうと、今、研究が進められています。ケーブル・カーができると、苦しい坂道を登らずに、楽に頂上まで行けるので、富士登山をする人がうんとふえることでしょう。この図は、遠くに日本アルプスを望み、近くに富士五湖がきれいな水をたたえた、美しいけしきの中を、ケーブル・カーが頂上に向かって上がっていくところです。』以上本文より。
昭和33年(1957年)といえば、日本各地でロープウェイが新設されはじめた頃で、実際に富士山にもロープウェイを架設する構想はあったのかもしれませんが定かではありません。ネット上でみると、現実的には鋼索鉄道(俗にいうケーブルカー)の計画はもっと具体的になっていたようですが、自然保護やその他いろんな事情の為か?実現はしなかったわけです。なのでまさに夢のロープウェイですね。この頃はまだ「ロープウェイ」という名称の他に「空中ケーブルカー」という呼び方もされていた時代なので、ここでは「ロープウェイ」ではなく「ケーブル・カー」になっています。ロープウェイの事に詳しいこぶさんは、この名称のせいで、本の出版者の人が鋼索鉄道の計画をロープウェイと思い込んだ可能性が大きいのではないかという御意見でした。その辺の事情に詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひブログを通して御連絡いただきたいものです。
このイラストは中島章作氏によるもので、未来画、科学画を得意としたイラストレーターだったようです。この時代の少年雑誌やおもちゃの箱のイラストって本当に魅力的だと思います。細かい部分もとてもよく描かれています。搬器のデザインが昭和レトロで素敵です。手前の搬器には「ふじ」という愛称がつけられています。反対側の愛称が気になります。
「家の光」という雑誌は大正14年に創刊された農家の主婦層向けに出版する総合家庭雑誌で現在も発行されています。その雑誌に「こども家の光」という子供向け小冊子が付録としてついていたようです。A5サイズで、当時のスポーツ選手の活躍や、マンガ、動物や虫の事などいろんな話題が掲載されていました。
『日本一の富士山に、ケーブル・カーを作ろうと、今、研究が進められています。ケーブル・カーができると、苦しい坂道を登らずに、楽に頂上まで行けるので、富士登山をする人がうんとふえることでしょう。この図は、遠くに日本アルプスを望み、近くに富士五湖がきれいな水をたたえた、美しいけしきの中を、ケーブル・カーが頂上に向かって上がっていくところです。』以上本文より。
昭和33年(1957年)といえば、日本各地でロープウェイが新設されはじめた頃で、実際に富士山にもロープウェイを架設する構想はあったのかもしれませんが定かではありません。ネット上でみると、現実的には鋼索鉄道(俗にいうケーブルカー)の計画はもっと具体的になっていたようですが、自然保護やその他いろんな事情の為か?実現はしなかったわけです。なのでまさに夢のロープウェイですね。この頃はまだ「ロープウェイ」という名称の他に「空中ケーブルカー」という呼び方もされていた時代なので、ここでは「ロープウェイ」ではなく「ケーブル・カー」になっています。ロープウェイの事に詳しいこぶさんは、この名称のせいで、本の出版者の人が鋼索鉄道の計画をロープウェイと思い込んだ可能性が大きいのではないかという御意見でした。その辺の事情に詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひブログを通して御連絡いただきたいものです。
このイラストは中島章作氏によるもので、未来画、科学画を得意としたイラストレーターだったようです。この時代の少年雑誌やおもちゃの箱のイラストって本当に魅力的だと思います。細かい部分もとてもよく描かれています。搬器のデザインが昭和レトロで素敵です。手前の搬器には「ふじ」という愛称がつけられています。反対側の愛称が気になります。
「家の光」という雑誌は大正14年に創刊された農家の主婦層向けに出版する総合家庭雑誌で現在も発行されています。その雑誌に「こども家の光」という子供向け小冊子が付録としてついていたようです。A5サイズで、当時のスポーツ選手の活躍や、マンガ、動物や虫の事などいろんな話題が掲載されていました。
こども家の光 昭和33年7月号 |
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