1957年7月号の「小学三年生」の表紙を開いてすぐのページに載っている奥摩耶ロープウェー(現在の摩耶ロープウェー)の口絵である。ここの開業は1955年(昭和30年)なので、日本で戦後に本格的なロープウェイ建設が始まってまだ間もない頃と言える。その証拠に「ロープウェイ」という名称が定着する前の「空中ケーブルカー」という名称で紹介されている。この初代搬器は1号車が白地に赤い帯、2号車が白地に青い帯であったはずだが、ここでは違う色に着色されている。ロープウェイの楽しさを強調する為か、1号車の乗客が合成のようで、「写真構成 浜康雅」となっている。そして監修を当時の交通博物館長の山中忠雄氏が担当している。
154ページに「PTA通信」というページがあり、ロープウェイの口絵の解説も載っている。ここでも「ロープウェイ」という言葉は使われておらず、線路上を走行する、いわゆるケーブルカーと、空中ケーブルカーの共通点と違いを説明している。そして掲載されている口絵の写真が、構成上編集(合成?)されている事もことわっている。
小学三年生 第十二巻第五号 昭和32年(1957年)7月1日発行 株式会社小学館 当時の定価110円 |